昨日発売された文藝春秋7月号。
「尊厳ある死」という特集がとても気になり、早速買ってみました。
いずれの記事も興味深かったですが、中でも「目から鱗」だったのは「死の床で見える”お迎え現象”調査報告」です。死にゆく人が既に亡くなった人の姿や面影を目にしたりする「お迎え」という現象が、想像以上に広範に起こっている、という話です。
紹介されているアンケート調査によれば、遺族の4割以上の人が「故人が生前、お迎えについて語った。あるいは、見たり感じたりしているようだった」と答えたとのこと。記事の筆者は、遺族が気付いていないケースも合わせると、お迎え体験をしている例はもっと多いだろう、としています。半分とかそれ以上、ということでしょうか。
そして興味深いことには、このお迎え、自宅で起こるケースが大多数で、病院などの施設ではかなり稀なのです。先の調査をした医師によれば、これは病院が「ナチュラル・ダイイング・プロセス(自然死の過程)」を阻害する傾向があるからだろう、とのこと。西洋の医療が浸透するとともに「お迎え」が忘れ去られる、あるいはマイナーな現象とされるようになったのは、その辺が理由かもしれません。
この雑誌の他の特集は、その「自然死」を推奨するトーンのものが多かったです。ということは、在宅での医療や看取りがもっと身近になってくれば、「お迎え」が当たり前のように受け止められるようになってくるかもしれません。少なくとも、本人も家族も、そういうことがあり得ると思っておくのは大切なことでしょう。
この手の話ではよく「看取りの文化」という言葉が出て来ています。本人が「お迎え」が来ることを予期していて、期待すらしている。そしてもしそれが起こったら、隠すどころか笑顔で家族に打ち明けられる。看取りの文化が成熟してきたら、そんなことが当たり前になるような気がします。
さてこの点でやっかいなのはやはり家族の方です。「お迎え」といういわば幻覚は、たとえ幻覚であっても本人には実際の知覚です。でも家族にすれば、それが悲しい気持ち、嫌な気持ちにつながることも少なくないようです。身近な者の死を受け入れられない、受け入れたくない心理の表れかもしれません。
「お迎え」というと一見バカらしいようですが、こうしたスピリチュアルなこととどう向き合うかは、「多死社会」を迎える我ら日本人にとって大きなポイントだと考えます。無視するなんてもったいない話で、むしろ正面から向き合って、死や生を考える糧にする、くらいの姿勢でいたいものです。
とりあえず、この文藝春秋を買うか、買わないまでも図書館等でこの記事だけでも読むことをお勧めします。
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