緩和ケア医・岡部健さんインタビュー

投稿者: | 2012-07-07

先に読売新聞に連載された緩和ケア医の岡部健さんへのインタビュー(リンクは、この記事の一番下に)。

ご自身ががんになられたこともあって、いろいろ興味深い(というと少し変ですが)言葉が多かったです。記録の意味で、抜き書きしておきます。

「人が死ぬのを見ると、死に対する意識が変わります。死ぬのは苦しいことと思われがちですが、呼吸不全でも臓器不全も最後は意識障害になり、夢の世界に入り、苦しくありません。緩和ケアという道具を使って、そこに至るつなぎをうまくやってやれば、ほとんどの人は穏やかに死ぬことができます」

最近、尊厳死という言葉に代えて(というか加えて、でしょうか)「平穏死」「自然死」「満足死」などという言葉をよく目にするようになりました。自宅での看取り、かつ平穏死・自然死というのが、多くの人にとってこれからの理想形となっていくのではないでしょうか。

「在宅で看取れば、本人が衰えて死が近づくに従い、呼吸が弱まるのを見つめて家族は『もう、この世から去り、戻ることはないのだな』と実感します。その時間の経過を覚えて、次の世代に継承していくことができます」

「昔は自宅で亡くなるのが普通だったのに、逆に病院死亡の割合が高い時期が長く続き過ぎて、在宅での看取りの経験がない人が多くなりました。在宅だと医師も看護師もいないので、家族は死を見守ることに不安がつのり、逃げ出したくなります。・・・看取りの過程がない死が増えて、そうした経験しかない家族に看取りはできなくなります」

周囲の人にとって看取り経験が持つ意味、ですね。看取りを体験していれば、自分の時に覚悟できる度合いが全然違うと思います。この辺の文脈でよく「看取りの文化」ということが言われます。看取りの文化こそ、各家庭が代々受け継いでいくに値する文化なのではないでしょうか。

「出産と死亡は自然現象であり、死ぬことをどうみるかは文化の一部です。日本人は宗教を信じないとよく言われますが、半分ぐらいはあの世を信じています。墓参りに行けば、みんな先祖と話をしています」

「3000人が亡くなるのを見たから確信を持って言えるのですが、死ぬ少し前に、すでに他界している親の姿などを見る『お迎え』体験をする人が多いのです。精神医学的には『せん妄』(意識レベルの低下による認識障害)ということになりますが、本人には実体として見えている感覚です。『戦艦陸奥で爆死した兄がそこに来ているのに、なぜ先生に見えないの』などと言われます。そういう体験を受け入れて会話ができる家族は、良い看取りができます。まれには、お迎えに来た人に引っ張られて怖いという場合もありますが、大多数の患者は『お迎え』体験によって、死に対する不安が薄れて安心感を抱きます」

先日記事にした「お迎え」の話です。さすがにタブー視はされていないと思いますが、こうした話はもっと多く語られて然るべきと考えます。

「日本でお化けが消えたのは、いつだと思いますか。明治時代に哲学者の井上円了が全国各地のお化けを調査して、迷信だとして退治してからです。それ以来、合理性の名の下に日本人は、お化けを見る感覚を失ってしまったのですが、今回の大震災のような形で人と自然が対峙すると、やはり見てしまうのです」

最近、私にはこの辺の問題意識が強烈にあります。近代以降失われた日本人の感性・感覚を取り戻す。あるいは、近代までに老いや死について語られてきたことをこれからの我らの文化形成の「糧」にする。こうしたことが、今後ますます求められるようになってくるでしょう。一種のルネサンスですね。

「在宅ホスピスをやってきて、日本では宗教性の問題が大きな壁として残っています。このことだけは、しゃべれるうちにしゃべっておこうと思います」

岡部先生には、ぜひ医師として、がん患者として、そして人間として体験したこと、感じたこと、考えたこと等を一冊の書にまとめていただきたいものです。

とりあえず、読売のサイトに記事があるうちに、ぜひ全文を読んでみてください。「5」までありますが、それほど長いものではありませんので。

緩和ケア医・岡部健さんインタビュー全文(1)自身もがんで余命宣告
緩和ケア医・岡部健さんインタビュー全文(2)ほとんどの人、穏やかに死ねる
緩和ケア医・岡部健さんインタビュー全文(3)全人的苦痛への対処が最も必要
緩和ケア医・岡部健さんインタビュー全文(4)「お迎え」体験で、死への不安感薄れる
緩和ケア医・岡部健さんインタビュー全文(5)既存の宗教組織、看取りに参加を

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください