改めて、教養主義

投稿者: | 2012-07-27

ある意味で、時代錯誤的な主張かもしれません。

人生80年90年の時代、一生にわたって知的な面で旺盛な活動を続けるには、10代までに足腰を鍛えておく必要があるのではないか。そしてその「足腰」に相当するのが、教養なのではないか、と思うのです。

日本人にとっては、国語である日本語、そして和漢の古典、日本と中国の歴史、そして仏教の思想あたりは、教養を育む上では外せない要素だと思います。「これを学ばないでどうする!」という感じですね。若いうちに手っ取り早く稼いだり、「成果」を出すには一見遠回りなことかもしれません。でも大人になってからも知的に成長し続けることを目指すなら、結局のところは王道・正道と言っていいでしょう。

上記はこれまでの知的巨人を見れば自明な事実です。そしてもう一つ、我々日本人にとっては将来国際社会で活躍する上でも、日本人としての教養を身につけておくことは強み・差別化につながることだとも考えます。中国人はあまり総じて過去の古典や文化遺産に冷淡なようですので、日本人は東洋の思想や古典の正当なる後継者になれるのではないでしょうか。

さてそのためには、子供たちを本好きにする、古典に触れる機会を提供するの二つが決定的に重要です。私の偏見かもしれませんが、今の20代以下の若者は特に後者の面が弱く、知的な底の浅さを感じることが少なくありません。「手前が思いつくようなことは、もう過去の知的巨人がとっくに気づき、書いているだろう」という感覚が希薄だったり、そもそもなかったりするんですね。

若いうちは機転が利くからいいとして、ある程度の年齢になると知的な生産力がガタ落ちするのではないでしょうか。他人事ながら、そんな心配をしてしまいます。私は老人というほどではありませんが、老婆心ながら助言してあげたいですね。「遅すぎるということはないから、古典をもっと読め」と。

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