とても美しい言葉と感じ、一目見ただけで気に入ってしまいました。この言葉、まずは遺された者たちへの戒めと言えるでしょう。いつまでも死を悲しんでいても死者は喜ばないよ、それより故人に感謝し、その後の人生を前向きに送ることこそが、死者に対する最高の手向け=供養なのだと。
ただこの点は注意が必要でして、悲しいのに無理にそれを抑圧するとかえって悲しみが続いてしまうもの。まずは思いっきり悲しみを表現してみることです。そうすれば、次第に故人の思い出をしんみり回想できるようになり、いつしかそれが感謝に変わるはずです。「あなたに逢えて良かった」「あなたと過ごせて良かった」という風に。そうした過程を経ることこそが、理想の「別れ」なのではないでしょうか。
一方、これはワイルダー氏の意図とは違うかもしれませんが、これを死に行く者にとっての心がけとも考えたいと思います。死んでから感謝してもらえるような人でありなさい、と。死んで喜ばれたりホッとされたりするのは論外ですが、必要以上に悲しまれるのも、月並みな表現で言えば「不徳の致すところ」ではないでしょうか。
もちろん、事故など不慮の死であれば遺族が深い悲しみにとらわれるのは仕方ありませんから、これには不可抗力な部分もあります。ただ、「死んでから感謝される人でありたい。また、そうした人生を送りたい」というのは、持つに値する心がけだと思うのです。