どちらにしろ、「自称」ということに変わりはないんですが。
これまでも「遺言コンサルタント」を「ゆいごんコンサルタント」と言っていることに、居心地の悪い思いを感じていました。法律畑の人に言わせれば「遺言」は「いごん」ですから。
それが去年『死ぬときに後悔しない「こころの遺産」の贈り方』を読み、そして先般「心の遺産相続計画」という話を聞き、自分の中で「これに特化しよう」という思いが決定的なものとなりました。
参考記事:
『死ぬときに後悔しない「こころの遺産」の贈り方-今日から始める愛する人への「メッセージ」作り』を読みました | 志の輪、広げよう。(2011-09-08)
【テレビ】ABCニュースシャワー「estate planning」 | 終活ニュース(2012-10-11)
「ココロの遺言」、それは主に自分史、遺訓、メッセージから成ります。ただ、私のイメージするところでは「モノの遺言」「望みの遺言」以外のことは何でも「ココロの遺言」に当たります。「何でもあり」と言えばあり、なんですね。
あと、「モノの遺言」「望みの遺言」についても「思い」に当たる部分は「ココロの遺言」である、とも言えます。
言ってみれば、広義の「ココロの遺言」はエンディングノート(私の言う「自由遺言」)を指し、狭義の「ココロの遺言」は自分史、遺訓、メッセージ等々を指す、といったところでしょうか。
英語には「ethical will」という言葉、そしてそれを遺す風習があります。でもこれを「倫理遺言」と直訳したのでは日本語として意味がわかりづらすぎますし、何より生硬すぎます。ここは多少あいまいでも、「ココロの遺言」ないし「心の遺言」で良いのではないでしょうか。
Ethical will – Wikipedia, the free encyclopedia
日本人にとって「心」という言葉には、特別な響きがあります。
「気は心」なんてことわざがあるくらいです。それこそこのことわざの「こころ」は、日本人でないとなかなか理解できないでしょう。また我が国を代表する歌人である西行の歌においては「心」が最重要キーワードですし、国民的文豪と言って良い漱石の代表作の一つが「こころ(こゝろ)」でもあります。などなど。
ということで、本日から「ココロの遺言コンサルタント」を名乗ります。引き続き、よろしくお願いいたします。