「ココロの遺言コンサルタント」を名乗った以上、ココロの遺言についてこれから熱く語って行きたいと思います。
私のホームページで「ココロの遺言とは何か」について記述した部分が、下記。
ココロの遺言
亡くなった後、家族など身近な人に「何を伝えたいか」について書かれるのが「ココロの遺言」です。いろんな内容が考えられますが、おおよそ自分史、遺訓、メッセージのどれかに入るでしょう。
他の「モノの遺言」「望みの遺言」は、書くテーマがかなり明確です。それに対しココロの遺言は、それ以外の「伝えたいこと」であればいわば何でもあり。ある意味では、モノの遺言・望みの遺言以外の内容は、何でもココロの遺言と呼べるでしょう。
こう言うと「余り物」みたいですが、実は一番重要で、しかも一番興味深い部分だと思います。モノの遺言・望みの遺言については、標準的な教科書のようなものをつくるのは可能でしょう。ことココロの遺言に関しては、そんなものはできっこないと思います。それだけ、人によって多種多様なものであり得るわけです。
ココロの遺言の中身としては、上では「おおよそ自分史、遺訓、メッセージのどれか」としています。これについても、自分史、遺訓は比較的はっきりしているのに対し、メッセージだけが極度にあいまいですね。やはり何でもあり、というところでしょうか。その点で、メッセージの部分は私の考える「自由遺言」の華、と言っていいと思います。
メッセージに関しては、私などがアドバイスできる部分はそう多くありません。できることと言えば、
- 「べからず」集を伝える
- 心構えを教える
- 書かれたものをより良くするためのアドバイス
といったところでしょうか。
長く人生を生きてきた人が真剣に書いたメッセージは、第三者が読んでも心を打つものです。今世紀を通じて、一つでも多くのメッセージが書かれ、そしてそれが人の絆を強めるのに役立てば良いな、と願っています。名前を伏せた形で構わないので、できればみんなが広く読めるような「公開メッセージ」のような仕組みがあると、さらにいいですね。
次回以降、自分史、遺訓、メッセージのそれぞれについて、個別に考えて行きたいと思います。
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