裁判所の正義

投稿者: | 2013-03-20

先日、こんな判決が出ました。地裁レベルですけど。

成年後見制度で選挙権制限は違憲…東京地裁 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

「成年後見人が付くと選挙権を失う」とした公職選挙法の規定は参政権を保障した憲法に違反するとして、知的障害がある茨城県の女性が国に選挙権の確認を求めた訴訟で、東京地裁は14日、規定を違憲、無効とした上で、選挙権を認める判決を言い渡した。

定塚誠裁判長は「後見人が付いた人の中には選挙権を行使できる人が少なからずおり、選挙権を一律に奪うことは許されない」と述べた。

一律に奪うのは不当かもしれませんが、全ての成年被後見人に選挙権を与えるべし、というのも同じくらい不当でしょう。現行の制度がダメだとすると、別途「選挙権を行使できるかどうか」の検査(?)を選挙の都度、被後見人に対して行うというのでしょうか。どうも、話がややこしいことになりそうです。

原告や、上記の判決を出した裁判官が間違っている、とまでは言いません。でも社会的には相当なコスト・手間を要することになりそうです。それにより実現される「正義」がコスト・手間に見合ったものと言えるのか。率直に言って疑問です。

違憲訴訟ということでは、選挙における「一票の格差」をめぐる訴訟も全国各地で起こされていますし、非嫡出子の相続分差別についても近々最高裁で違憲判決が出るものと取り沙汰されています。裁判所が「正義の裁きを下す場」として、多くの人に期待されているのは確かでしょう。

でも私は、裁判所が「かくあるべし」というのをあまり強く出すのは危険だし、できればやめてもらいたいと思います。裁判官は法律のプロではあっても、社会のことに通じているわけではないですし、時として世間知らずと言ってもいいくらいの感覚の持ち主が少なくないようですから。

「政治で世の中を善くしよう」「教育で世の中を善くしよう」というのが仮に善意に基づいていても危険なように、「司法を通じて世の中を善くしよう」というのも危険な思想だと思います。司法関係者のみならず、ジャーナリストや我ら市民も心すべきことではないでしょうか。

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