「死の科学」は成り立つか

投稿者: | 2013-05-06

最近、こんな記事を読みました。

「脳波停止の後」に残る意識:蘇生医療の最前線から « WIRED.jp

蘇生医療は、鼓動が止まった心臓を復活させるための医療処置「心肺蘇生法(CPR)」が採用されるようになった20世紀の中ごろに始まった。当初は、CPRが有効なのは心停止から数分間だったが、医療技術の進歩により、その時間は30分を超えるまでになった。

新しい手法とともに、「生と死の狭間」はさらに拡大している。そして蘇生した人々からは時折、従来考えられてきた事柄を否定する体験が報告されている。脳の活動が停止していたはずなのに、周囲の物事を見たり聞いたりしたというのだ。

「人間の意識や心は、脳の中だけで起こっていること」というのが、現代の我々にとって常識でしょう。どうもそうとは言い切れない、ということが徐々に明らかになりつつあるようです。

臨死体験のことは以前から知られていますが、さらに本腰を入れて学ぶ必要がありそうです。事例を収集し、それを分類したり分析したりする。そしてその知見を広く社会で共有すれば、臨死体験を知覚する人、そしてその体験を口にする人も増えるのではないでしょうか。こういう現象は、そういうものがあり得ると思っているかいないかによって、迎え方が違うでしょうから。

折しも、Eテレ「地球ドラマチック」でこれに関連したテーマの番組が放送されたところです。アンコール放送とのことですが。

地球ドラマチック「奇跡の生還に導く声~“守護天使”の正体は?~」 – NHK

“奇跡の生還”を果たした人たちの多くに、共通した体験があった。不思議な声に導かれたというのだ。声の正体はいったい何か。脳科学者のユニークな研究を交えて伝える。

震災から二年あまりが経ち、こうしたことを肩肘張らずに語る雰囲気が出つつあるような気がします。当の被災地はいざしらず、日本社会全体としては。

私自身ちょうどこの前、「人は死なない」という本を読みました。筆者(現役医師)の体験とともに、先行する研究や言説も多く紹介されていました。本の全体を通して「医学・科学の知り得るところには限界がある」といったことが何度も強調されていました。確かに科学が「死」や「生命」を全て解き明かすことができると期待するのは的外れかもしれません。

まずは過去のケースも含め、人々が死の前後に経験してきたことにきちんと耳を傾けるべきでしょうね。併せて、それを当人がどう受け止めたか、あるいは社会は死についてどんな物語を紡いできたか、ということについても。死やいのちへの理解が深まるなら、「科学」でなくても別にいいんだと思います。

 

スパッとした結論が出るものでもないでしょうが、これからしばらく、この辺のことをいろいろ考え、学んでいきたいと思っています。

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