平成の世に生きる我々日本人にとっての死生観というとき、大東亜戦争をどう見るか、というのは避けて通れないテーマだと考えます。
歴史としてどう考えるか、といったことより、膨大な死者をどう考えるか、ということです。そして、家族や友人・隣人などを戦争で亡くした当時の人たちの気持ちを、どうくみ取るか。
戦後の日本で死が語られづらくなったのは、やはりおびただしい死者を目にして、うんざりした、心が深く傷ついたということがあったのでしょう。後世の我らに、それを批判する資格はありませんし、そんな酷なことはしたくないです。
ここへ来て「死のタブー視」といったものが薄れてきているとしたら、歓迎すべき事態です。でももしそれが、戦争の忘却の上に成り立っているとしたら、どこか薄っぺらで欺瞞を帯びたものにならざるをえないのはないでしょうか。少なくとも私は、そう考えます。
戦争を直接経験していない我らには、当然大きな限界があります。でもあの戦争で亡くなった人たちのことを脇に置いた死生観なんて、あり得ないはずです。