お別れの経験

投稿者: | 2013-07-16

「涙の数だけ強くなれるよ」という歌詞がありますが、大切な人とのお別れ=死別を数多く経験して行くに従って、人は成長していくのではないでしょうか。「成熟」と言ってもいいです。

もちろん、いくら周りで人が死んでも何にも学ばない人もいれば、数少ない経験から多くを学ぶ人もいるはずです。あくまで、傾向ということで。

まずは、祖父母や両親、それに恩師や上司など年上の人。そして配偶者や友人、同僚など、比較的年齢の近い人。人によっては、子や部下、後輩など自分より若い者に先立たれることもあるでしょう。それらを経験する中で、死生観さらにはもっと深い人生観や生命観も培われていくものだと思います。身近な人の死はそれぞれに特有なものなので、「消化」という言い方はそぐわないでしょうが。

そしてこれは私の持論なのですが、直接に交際のあった相手だけでなく、芸能人や文化人、さらに今後はソーシャルメディア上の有名人といった相手とのお別れも、大きなものになっていく気がしています。「遠くの親戚より近くの他人」ではないですが、あまり心的交流のない親戚や同僚の死より、こうした相手の死の方が、重たく、身に迫るという事態。倒錯でも何でもなく、現代の普通・当たり前になって行くのではないでしょうか。

「サヨナラダケガジンセイダ」という詩があります。それは多少誇張しすぎにしても、大切な人とのお別れが人生を構成し、左右する大きな出来事であるのは確かです。きちんと向き合う中で、自らの死に対する「構え」みたいなものが徐々に確立されるのでしょう、恐らく。

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