【今週のお言葉】死んでも誰一人・・・

投稿者: | 2006-02-01

全文は「死んでも誰一人泣いて呉れる者もいない位では、生甲斐のないものだね」。徳富蘆花の言葉だそうです。


この言葉の「泣いて呉れる者」は文字通りにとる必要はないでしょう。死んだときにそれを悲しんだり惜しんだりしてくれる人、という風に解釈するべきだと思います。泣いているからといって心底から死を悼んでいるとは限りませんし、逆に泣いていないのに心は痛切な悲しみに満たされている、ということはあるだろうからです。

さてそれを確認した上で、「泣いて呉れる者もいない」とは、どんな状況でしょうか。

まず考えられるのは、生きていることが周囲の人にとって重荷や迷惑となっていて、むしろ死ぬことが周囲にとって救いであるような場合。これは確かに悲しいことですね。ま、でもここまでひどい人はあまりいないでしょう。生前忌み嫌われていても、亡くなってみると意外に寂しかったりもしますし。

次に考えられるのは、心から悲しんでくれる人がいないほど、孤独に生きている場合。このケースについてはさらに、生涯を通してそうした相手がいなかった人と、強い絆で結ばれた人に先立たれて最後に孤独になった人とに分けられます。そしてこの言葉にもっともよく当てはまるのは、前者のような人だと私は思います。

生きている長さはともかく、生きている間に親以外にそうした相手を持てなかったとしたら、仮にどんな華麗な人生だったとしても、その人生は失敗だったと言わざるを得ません。別に偉大な仕事などしなくてもいいから、身近な他人と心の通い合う付き合いをしてこそ、人は生きる価値・意味があるのだと考えます。

厳しすぎる考え方かもしれません。けれど、いろんなことに惑わされて、生きることの本筋を見失いがちなのが、現代です。これくらい冷徹な認識を持っているくらいでちょうどいいのではないでしょうか。折に触れて「もし自分が今死んだら、心から悲しんでくれる人は何人いるだろうか」と自問してみてはどうでしょう。

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