人が亡くなると、その人自身の面影や業績などが浄化されて、聖なるものとしての後光をまとう。これを私は「死人プレミアム」と呼んでいます。
たとえば私が尾崎豊の曲を聴くようになったのは彼が亡くなってからですが、彼はもう死んでいる、という意識が、間違いなく彼の作品の味わいを深めてくれている気がします。時代はかけ離れていますが、夏目漱石の(特に後期の)作品群も、彼が亡くなっていることで何倍も味わい深くなっています。
それとは少し違う話ですが、「ばあちゃんに恋をした」という記事が、はてな匿名ダイアリーに投稿され、多くのブックマークを集めています。亡くなった祖母の若い頃の写真を見て、一目惚れしてしまったのだとか。
実話かどうかは定かではありませんが、仮に作り話だとしても、よくできた話だと思います。
生前祖母が語ってくれた昔話も、この少女の姿を思い浮かべれば丸っきり違う印象になってしまう。もっと話を聞いておけばよかった。どんな青春を送ったのだろう。どんな恋をしたのだろう。どんな時に笑ったのだろう。何に心を痛め泣いたのだろう。そんなことを、うだうだと考える。考えれば考えるほど、おれの頭の中で彼女は可愛くなっていった。
どの家族でもここまでの思いがわくということはないでしょう。それでも、亡くなってから自分の知らなかった祖父母や両親の一面を知ったら、もっともっと知りたいと思う、というのは普遍的な感情でしょう。それに応えるためにも、子や孫を持つ者は生きているうちにメッセージを伝えておく、あるいは書き残しておくべきなのです。
死人プレミアムを考えれば、「自分ごときが」などと物怖じすることはないんです。子や孫にとっては、先祖の生は自分の大切な一部なんですから。