お寺のあり方について考えさせられる良記事を見つけました。
大悲寺のありようは、ある意味でお寺の正統、理想型と言っていいでしょう。
大悲寺の僧侶は“不捉金銭戒”(=金銭に触れない戒律)を守っており、同寺には“功徳箱”(=賽銭箱)が置かれていない。“社会主義市場経済”という名目の資本主義が蔓延する中国では寺院も僧侶もその大多数が金銭に汚染され、日本の寺院と同様に維持経費の名目で、どこの寺院も拝観料とか入山料などを徴収しているのが実情であり、中国広しといえども賽銭箱が置かれていない寺は大悲寺以外には数えるほどしかないと思われる。
大悲寺の僧侶には次の8項目の約束事が課せられている:
[1]金銭に触れない戒律
[2]日中1食(正午を過ぎたら食事はしない。お茶、飲料、果物を含む)
[3]行脚する(乗り物には乗らない)
[4]托鉢を行う(食物のみで金銭は受け取らない)
[5]外部の僧侶の贈り物は受けない
[6]僧侶が受け取った供物はすべて寺に収め、僧侶全員で等しく配分する
[7]僧侶の所持品である3種類の衣と1つの鉢は肌身離さず、18種類の必需品は常に準備しておく
[8]托鉢しても無理強いせず、人に求めない。大悲寺の僧侶たちは年に数カ月間を数万キロの行脚に費やし、托鉢をしながら各地で仏の教えを説く日々を送っている。その間、彼らは毎日を野宿で過ごし、決して他人の家に泊めてもらうことをしない。
こうした彼らの真摯な姿を知ることで、信者は年々増え続け、過去8年間で“比丘”(=僧侶)となった者数百人、仏教に帰依して信徒となった者は数万人を数えている。厳粛な佇(たたず)まいを見せる大悲寺は僧侶たちの深い慈愛に包まれているという。
その一方、少林寺みたいなお寺もあっていいんじゃないでしょうか。「どちらがいいか」という問いは、愚問だと思います。
この記事に触発されて、お寺のありようマトリックスを作ってみました。大悲寺は「仏教の砦」寺院、少林寺は観光寺院ということになるでしょう。
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私としては、お寺が基点となって様々な社会活動が展開される、というのが一つの理想です。マトリックスで言えば、「NPO寺院」ということになりますか。
なお、お寺については2年も前に「お寺の可能性をさぐる」というタイトルで4件の記事を書いています。今も、基本的に考えは進歩していませんねぇ。