【今週のお言葉】つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを

投稿者: | 2006-02-08

在原業平の辞世の句です。遺言データベースの辞世のコーナーにも掲載していますが、「お言葉」にとてもふさわしいと思い、重ねての掲載に踏み切りました。


業平は享年55。この時代としては決して短命ではなかったでしょう。ですがやはり、死を自分のこととして捉えることは死の直前までできなかったようです。この句から受ける印象というのは、死に際に苦い思いをかみしめる哀調のようなものでしょう。業平が名うてのプレイボーイだったことを知っていれば、味わいもひとしおです。もちろん超一流の歌人である彼のこと、この心境自体が詩的虚構である可能性も否定できませんが。

ともあれ、ここで読まれている気分というのは、多くの人の実感をうまく掬い取っていると考えます。だからこそこれほどに語り継がれ、盛んに引用されてきたのでしょう。大げさに言えば、日本人が死生観を形成する上で格好の素材になってきた、そんな句でしょう。

この時代、今よりもずっと死が身近だったはずです。そんな中でもこのありさまだとしたら、死を隠蔽する傾向の強い現代に生きる我々は、どうしたらいいのでしょう。暫定的な答えを申し上げると、身近な人を始めとする他人の死を徹底的に受けとめること、また他方で折に触れて「もし自分が余命・・ヶ月だとしたら」という仮定の思考をしてみる、といったところでしょうか。

それにしても、この句をネット上で検索すると、「ついに」とか「思わざりし」などと現代仮名遣いで表記してあるものが目立ちます。和歌を始め過去の文学を現代仮名に書き改めるのがいかに無粋なことか、そろそろみんなが気づいても良さそうなものですが。

【今週のお言葉】つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」への1件のフィードバック

  1. 大夢 馬場

    「和歌を始め過去の文学を現代仮名に書き改めるのがいかに無粋なことか」というのは何故ですか?

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