お寺の可能性をさぐる・その4

投稿者: | 2006-02-11

最終回の今回は、お寺そのものを支える活動に人々を巻き込むべき、ということを提言します。


従来お寺というのは地域にあって半ば公的なもので、経済面でも人手の面でも地域の人々に支えられて成り立ってきたはずです。ただそうした側面も、都市化の進展とともに薄れてきました。読経や戒名などのサービスに対する対価をお布施という名目で受け取ることのみが、主な収益基盤になってしまったのです。葬式の前後だけ人々と関わる「葬式仏教」という状況の現出です。

お寺と市民の健全な関係を取り戻すには、改めて伝統的な檀家制度とは異なる絆をつくりあげる必要があります。その一つの解が、「市民のお寺への参画」だと思うのです。

具体的には、これまで書いてきたような様々な「新規事業」に対して、関心を持つ市民を巻き込んでいく。あるいは、お寺の経営をガラス張りにして市民をスタッフとして参与させる。こうしたアイデアがすぐに浮かびます。

これからのお寺は、個人が自ら縁を選び取るような形のものとならざるをえないでしょう。先祖代々からの菩提寺、などというのは、一部の田舎を除けば持続できそうにありません。その意味で、数あるNPOのうちの一つ、ただしかし重要な一つ、というような位置づけになっていくのだと思います。葬式などとの関わりも大きく変化せざるを得ないでしょう。

お寺にはまだまだ可能性がある。だがそれを実現する過程には様々な困難が待ち受けている。少なからぬお寺がつぶれるということを含めて。

現時点での私の見方は、こんなところです。

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