向学心なき者は

投稿者: | 2014-05-23

朝ドラ「花子とアン」、楽しく観ています。しょっちゅう、涙しながらですが。

胸を打たれるのは、主人公のはなが山梨の貧しい小作農家の家に生まれながらも、それこそ燃えるような向学心を持ち、自らの人生を切り開いて行っているところです。私も貧しくこそないものの地方に生まれて進学のために実家・郷里を離れましたので、共感したり自分の人生を振り返ったりしながら観ています。性別も時代も、全然違うんですけどね。

ドラマにはもう一人、朝市という向学心に燃える青年が出てきます。多分にはなに感化させられ、刺激を受けた感じですが、向学心という点でははなに負けないでしょう。

彼らのように、家が貧乏であるにもかかわらず、あるいはそれだからこそ向学心なんてものを持ってしまった少年少女というのは、日本の歴史の中で無数にいたはずです。金次郎と呼ばれていた頃の二宮尊徳も、そんな感じでした。

そして一方では、向学心があっても家庭の経済的事情で進学できない、あるいは学問を諦めざるをえなかった、という人もたくさんいたはずです。その無念を思うと、胸が痛むなんてものじゃありません。現代の我が国は大学進学率が飽和している感があり、たくさんの学ぶ意欲も能力もない者が大学へ籍を置いています。昔の向学心に燃えた貧乏青少年を思うとき、「勉強しない大学生」には腹が立ちます。時代や環境が違う、と言えばその通りなんですが・・・。

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