【今週のお言葉】死者も我々がまったく忘れてしまうまで、本当に死んだのではない。

投稿者: | 2006-02-18

ジョージ・エリオットの言葉だそうです。裏を返せば、「我々が完全に忘れてしまったら、そのときが死者にとっての本当の死だ。」ということになります。


現実には、身近に生きた人のことを完全に忘れるなんてことは、ありそうにありません。この言葉は、「人は死んだあとも、その人のことを知る人の心の中で長く行き続ける」という励まし・救いの言葉と取るべきなんだと思います。

もちろん、想起する頻度やその強さは、時間の経過とともに減ってくるでしょう。そしてそのことは生きている者にとって、戸惑いや良心の呵責の元になりがちなものですが。

真の忘却が訪れるのは、故人を知る者もすべて鬼籍に入り、直接会った者がこの世に一人もいなくなったときです。とりわけ日本人の場合は、一部の旧家・名家を除き、4代以上前の祖先にはほとんど関心を持たない通性がありますから。

さてこの認識を持った上で、人はどんな心がけを持つべきでしょうか。自分が忘れられないよう、「生きた証」となるモニュメントを遺す?それもいいかもしれませんが、もっと素晴らしいのは、自分のことは忘れられても世の中をともし続けるような「灯り」を遺し、伝えていくことだと考えます。

「わすれられない おくりもの」という童話の中で、亡くなったアナグマは周囲のみんなに、生きる上での様々な知恵や自尊心の持ちようを授けて逝きました。アナグマを知る者がこの世にいなくなっても、アナグマの遺したものはあの森で生き続けるのでしょう。我々も、あのアナグマのようでありたいものです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください