何年にもわたって考え続け、自分の中で確信になりつつある観念です。
生前準備がつまらないものになるか、実り豊かなものになるかは、結局その人の「器」次第なのではないか、と。テクニックやノウハウを駆使すれば、多少は巧みにできるかもしれません。それでも、器が小さかったらごまかしは利かないでしょう。逆に器が大きい人、巨大な人にとっては目先のテクニックなど関係ありません。むしろ稚拙なくらいの方が味わいにつながる
もう一つ、生前準備いっさいを「つまらない」「くだらない」と切って捨てる人も、その人物自身の器の大きさ(というか、小ささ)を表しているように思えてなりません。他人の生前準備を見て卑小に感じるなら、自分でその枠を超えるだけのものを見せれば良いこと。「くだらない」などと言うのは、やらない言い訳にしか聞こえません。ま、そういう人を説得しようなんて思いませんけど。
限りある人生の時間。より高め合ったり刺激し合ったりできる関係に捧げたいものです。