「後悔しない葬式」に感じる違和感

自分と考えが合うものよりそうでないものの方が、自分の思考の特徴を際立たせてくれる面があります。

これもその一例。

葬祭業界では「後悔しないお葬式」というフレーズがよく使われます。これにいつも違和感を覚えています。一言で言うと、「大事なのはそこじゃないだろう」というもの。

葬式を何のためにするのか。それは後悔しないためではなく、故人ときちんとお別れをし、故人の生き様と死に様を心にしっかり刻みつけるためのはずです。その視点からすると、後悔しないというのは優先順位が低くなります。いやそれどころか、多少悔いが残るくらいのハプニングや不手際があった方が、あとから振り返った時に良き思い出となるのではないでしょうか。ことさらに後悔を避けるというのは、そうした機微について全く理解がないように見えます。

もう一つ。根本にある人生観みたいなものでも私は受け入れがたいものを感じます。人生において後悔や失敗はつきもの。それがバネになったり糧になったりすることはあるのだし、むしろそうしようと頑張ることにこそ「妙」がある、という風に考えるからです。後悔や失敗を恐れ、ことさらに回避したいのであれば、何にも挑戦しないで生きれば良い、むしろ生きるのをやめた方が良いとすら思います。

そうした価値観から見ると、「後悔しないお葬式」には「わかってないな」とか「そういうことじゃないだろう」と思ってしまうわけです。簡単にこのフレーズを使ってしまう人には、私のように考える人間いること自体、想像も付かないかもしれませんが。

なお、「後悔しない生き方」というフレーズへの所感は、過去に二度記事にしています。こちらもどうぞ。

後悔しない生き方(2009-11-20)
「後悔しない生き方」とは(2013-09-26)

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