侮辱する自由は保護されるべきか

投稿者: | 2015-01-12

フランスの風刺週刊紙「シャルリー・エブド」編集部が襲撃され、多数の死者が出た事件。

世界中に衝撃と波紋を呼んでいます。

西欧など一部には表現の自由に殉じたとして過剰に持ち上げる向きもあるようです。ただ私は、殺されて当然とは言わないにしても、他人の信仰を侮辱した以上、襲われる側にも非があったのは明らかと考えます。

同じ殺人事件でも、無関係の他人をいきなり殺すのよりは罪は軽くしてしかるべきではないでしょうか。犯人たちはその後の立てこもり事件で、無関係の市民を巻き添えにした挙げ句射殺されましたけど。

この事件を受けて「表現の自由を守れ!」などと声を張り上げるのは、ややお門違いな気がします。自国の政治家や有名人を風刺したり皮肉ったりするのはいいでしょう。あるいは世相を斜めから斬るなど。けれども違う文化の中にいる人の尊重する価値観やライフスタイル、そして今回のような信仰の尊厳に関わる部分を侮辱するのは、「自由」であるはずがありません。

これまでもヨーロッパではイスラム教徒や預言者ムハンマド(マホメット)を嘲笑う言論や漫画がたびたび登場してきました。多くのイスラム教徒が傷つき、怒りを感じていたことと思います。嘲笑う側が、イスラム教徒や篤い信仰を持つ者を見下しているのは明らかでしょう。

今回の件をきっかけに、ヨーロッパ人とイスラム世界の対立・摩擦がエスカレートしそうな気配があります。まずは相手の価値観や立場を尊重する。そうした最低限のことから始めてほしいものです。要らぬ侮辱や風刺は、もうやめた方がいいです。

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