NHKスペシャルの大型企画「ネクストワールド」で、死者を蘇らせるテクノロジーが紹介されていました。
故人のデータを収集・登録して本人に生き写し(?)のサイボーグをつくるというものです。
番組が未来予測のターゲットにしている2045年時点で、これが実現しているかどうかはわかりません。ただ、いろいろ考えさせられる素材ではあります。
私がまず思ったのは、実現にはいろんなハードルがあってその途中ではいろんな不満を醸す存在になるだろうな、ということです。不気味だったり「こんなのあの人じゃない!」感じたり。ということで当分は「恐れるに足らず」と言っていいでしょう。
一方、そうした不満を持たないほどに完成度の高いものが実現するようになったら、どうでしょうか。私には「バラ色」どころか人類の死生観を根底からひっくり返す、とんでもないテクノロジーのように思えてなりません。
本人が死んでも、その「分身」が永遠に生き続ける。そうすると我らの死に対する受けとめ方、死への構えが全然変わってくることでしょう。人の死を看取ることが、寝る前に「おやすみ」というくらい軽い行為になってしまわないでしょうか。
別れに伴う悲しみは大幅に軽減されるでしょう。ほとんどなくなるかもしれません。でもそれが人間にとって真に望ましいことかどうか。別れがあるからこそ、現世での触れ合いを大切にもし、故人との思い出を自分の中で再構成することもできるのです。分身が目の前に現れるとなれば、そうしたことが無意味になってしまうのではないでしょうか。そのことは人間の社会や文化を随分変えてしまいそうです。一言で言えば、皮相な方へ。
不死を目指すテクノロジーにも同様のことを感じます。人には死があるからこそ、生きていることを満喫できるのではないでしょうか。少なくとも私自身は、遺す方としても遺される方としてもこの「蘇り」テクノロジーのご厄介になろうとは思いません。皆さんは、いかがですか?
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