トーマス・マンの言葉です。似たようなことはいろんな人が言っているので、今では陳腐な感すらありますが、厳然たる事実でしょう。
以前述べたように、不老不死を本気で追求すれば、それに伴って生が薄っぺらなものになるのは必定です。限りあるものであることが、むしろ命の価値を高めているのです。
そしてやや不謹慎なことを言えば、多くのドラマ・映画では死が重要なモチーフになっています。死が出てこなかったら、これらがどれだけ味気ないものになるでしょうか。死を持ってこないで観る者を感動させるのは、結構難しいことです。(その分、死は安直に感動ネタとして使われがちなのですが・・・)
さて、命が尊いものであることは、その通りです。ただ、これが「人命は地球より重い」式に個体生命を絶対視するようになると、「それは違うのではないか」と異議を唱えたくなります。
命は個体では成り立ち得ないものであって、むしろ命の本質は、個体から個体、ひいては種全体で受け継がれること、さらには生命圏全体で広範な「生かし・生かされる」関係の網の目が作られているということにあるのではないでしょうか。
そう考えれば、人間の命を特別視することには、根拠がどこにもないのです。この言葉が述べている「命」とは、何も人間の命に限ったことではありませんから。