切ない投書

投稿者: | 2008-11-12

産経新聞に切なくなる投書が載っていました。題名は「天涯孤独」。

【きのうきょう】「天涯孤独」(MSN産経ニュース)

兵庫県姫路市 柳川智代(89)

 7年前に夫が、5年前に郷里の兄が、天国に旅立ってから、私は天涯孤独である。週2回、1時間半ずつ、ヘルパーさんの来訪があるも、毎日が独りぼっちである。CDでクラシックを聴きながら読書するのが唯一の楽しみであり、孤独からの逃避でもある。「独りは自由でよいわ」と自分に言い聞かせ、短歌や川柳を作ってみたりもする。

 昨年、親切な知人に同伴していただき、岡山県の最北にある郷里へ墓参した。広い墓苑には、苔(こけ)むして文字が読めない父母の墓碑、兄夫婦や15年前に亡くなった弟の墓、ご先祖さまの古い墓など、タクシーの運転手さんが、お花や水を手向ける手伝いをしてくれた。そのとき、「親兄弟集まって、いいなあ。私だけが独りぼっち」と感じた。他家に嫁いだ私は、この墓苑には入れない。のけ者になった気がした。そして、小さいながらも一戸建てだから、孤独死するんだろうな。お墓参りをしながらそんなことを思った。

「おひとりさま」なんて甘っちょろい言葉ではくくれない、重たい現実ですね。

年を取っても新しい友人をつくるとか、メンバーの新陳代謝があるグループやコミュニティに所属するといったことの必要性が痛感されます。痛感したところで、どうなるものでもありませんが。

何となく、「年の差友達」というのがいい策に思えて来ました。20歳30歳離れていれば、どちらが先に逝くかはかなりの確率で予期できますから。そして世代が違うことで、お互いにいい刺激を与え合い、情報交換できるでしょうから。

その際、友達は同性と決めつけることはありません。むしろ、年を取ったら異性間の友情に味わいが出る気がします。少なくとも男の場合、いくつになろうが友達関係は少年時代や学生時代の遊び仲間と、そう変わらないんじゃないでしょうか。

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