プロ野球それもピッチャーに関しては、「有能な者ほど日本を離れて大リーグを目指す」という構図がすっかり定着しています。
大学など知の分野においても、今後ますますその流れは強まるのではないでしょうか。有能な者ほどアメリカの大学へ行く、と。日本で言う大学院以降の年齢になってからはもちろん、高校卒業後直接アメリカの大学に進む人ももはや珍しくないようです。日本史や日本文学など日本にいて日本語で研究するのが必要な分野でない限り、日本に拘泥する理由は、ありませんものね。
私は10代から20代の頃「海外で学ぶ」「海外で働く」ということは全く考えたことがありませんでした。迂闊と言えば迂闊ですが、郷里を離れて大阪や東京といった大都会の郊外で暮らすだけで満足していたという感じです。
でも今の時代、野心のある者、能力のある者は世界というフィールドで自分の力を試すべきです。そしてそこで磨かれて、より大きなスケールで仕事をしていただきたい。日本という枠、日本語という言語に捕らわれている場合ではないよ、と言いたいです。
さて今はまだ顕在化していませんが、そうなると日本語と世界語である英語との言論のレベルが、ますます開いて行くことになるかもしれません。そしてそのために、次の世代はさらに世界にどんどん飛び出していくという。ちょうど過疎地で起こっているような悪循環が日本列島全体を襲うかもしれません。言ってみれば、知の空洞化ですな。
そのこと自体は、止めようもありません。日本列島に住みもっぱら日本語のみで暮らす我々にできるのは、その質的低下を少しでも遅らせることでしょうか。