終活やエンディングノートについて、「ブーム」という形容が使われることが、割とあります。
と言うより、枕詞のようにいつもくっついてくると言った方が実態に近いかもしれません。
ブームと呼ぶ人は、暗黙のうちに「一過性のもの」と見なしているように見受けられます。ブームはいずれ過ぎ去るのが常ですからね。
生前準備、死の準備をもっと浸透させたいと志している私にすれば、看過できない決めつけです。「ブーム」と口にする人を目にしたら、その真意をただし、論破してやりたいくらいの気分です。さすがに実際にはやりませんが。
終活という言葉、そしてエンディングノートという形式は最近になって出てきたものですが、呼び名や形は違っても自らの死に備えるというのは我が国に古くから存在したものです。辞世や遺言をしたためること、隠居して家督を後継者に前もって譲っておくことなど。
現代には現代の、そしてライフスタイルが多様化する中では個々人なりの死の準備があるはずですので、それを模索すれば良いだけのことです。一過性の流行で終わるはずがありません。また、終わらせたくありません。
なお、「終活」というふざけた言葉がよけいな反発、あるいは軽侮に近いようなものを招いていることは私も自覚しております。私自身は基本的に使用を避けている言葉です。死の準備、それが言いづらいなら生前準備でいいじゃないですか。