認知症を喜べ!?

投稿者: | 2015-06-19

考えさせられる記事を読みました。

2)長寿が招く認知症に肯定を | 幸せな認知症 | 上田諭 | 毎日新聞「医療プレミア」

長寿になると社会全体がお祝いをする。ところが、長寿に伴って必ず生じてくる認知症という現象には、「困った問題だ」という目でみる。こんな奇妙なことがあるだろうか。長寿を礼賛するなら、認知症も祝福しないと理屈に合わない。それが難しいなら、せめて社会全体が認知症の人を肯定し、歓迎の気持ちで迎え入れるべきだ。

言っている趣旨はごもっともですが、もっと良い言い方があるだろう、と感じました。

認知症の介護に当たっている人、認知症の家族を見送った人、そして今現在認知症予防に励んでいる人にとっては、随分冷たい言葉、残酷な言葉に響くのではないでしょうか。

社会(というかメディア)の認知症に対するとらえ方は大きく歪んでいて、それを正す必要があるのはわかります。ただそれは、正しいことを素っ気なく言えばどうにかなる、というほど簡単なことではないでしょう。下手な言い方だとかえって反発を招く可能性もあります。日本では「何を言うか」と同じかそれ以上に「どんな風に言うか」も大切なのです。

さまざまな認知症予防法をチェックして、それを生活の中に取り入れていくことは無駄ではないと考えます。予防法の多くががん予防法と共通しますし、もっと広く健康の増進や生活の質向上にも寄与するからです。

もちろん、予防にこだわるあまり人生・生活がつまらないものになっては本末転倒です。楽しんでやる、無理のない範囲でやるという考え方で良いと思います。それに将来は、個人の遺伝的特性や性格に合致したオーダーメイドの健康法・認知症予防法が提示されるようになることでしょう。「予防なんて無駄だ」と決めつけてその予防法の改善・効率化に目を向けないというのは、あまりに了見が狭いと言わざるをえません。

さてその上で、絶対の予防法(いわば認知症への必勝法)は無いし将来もおそらくは生まれないであろうことは弁えておくべきです。そして、長寿はやはり認知症やがんの最大原因であること、長生きすればするほど予防の努力をぜんぶ打ち消すくらい認知症やがんになりやすくなるということは、忘れない方がいいです。

なってしまったら仕方ない、悪化をどう遅らせ、残りの人生をどう過ごすか、という風に気持ちを切り替えないと。その意味で予防にのめり込みすぎていると、ここでの挫折感・敗北感が大きくなるという危険性がありますね。

アンチエイジングについても感じることですが、予防を軽視しすぎるのも重視しすぎるのも「極論」です。ほどほどのポイントを自分なりに見つけて、親からもらったこの体で何十年か生きていく、ということになるのでしょう。万人にとっての唯一の正解なんてものはないでしょうが、人が人である限り「落としどころ」はそこそこの範囲に落ち着くはずです。

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