自他の「死に際」について考えることから

投稿者: | 2015-06-30

生前準備の必要性や意義を認める人は、半分くらいいます。

それでも実際に行動を起こすのは、全体の一割いるかどうか。この「わかっちゃいるけど、手を着けない」状況をどうにかするのが、私の最大テーマの一つです。

突破口というかとっかかりとして良いのは、やはりリビングウィルや事前指示書といったものを書いてみることではないでしょうか。何十年か生きていれば、祖父母や場合によっては親、そして親しい友人などを亡くした経験が何度もあることでしょう。他人の死に様を見聞きして、「自分はこうしてほしい」「自分はこうしてほしくない」ということが何かしらあるはずです。参考となる図書や専門家のアドバイスに耳を傾けながら、それを文章化するのです。

大切なポイントは、一度書いたからと言ってそれが最終形ではないということ。気が変わったり、周りの状況が変わることによって、書き換えを迫られることはあるでしょう。むしろ一度書いたものがずっと変わらないことの方がまれ、くらいに心得ておいたほうがいいでしょうね。

学者や宗教家などの中には、リビングウィルや事前指示書について「無駄だ」とか「無意味だ」と切って捨てる人が少なくありません。でも死の現場に立ち会う医療者でそういうこという人は、ほとんどいないのではないでしょうか。

私が死ぬまでには、過半数の人が何らかの形で終末期医療についての意思表示をしたためるようになってほしいものです。今は書いていたら感心されるくらいのものですが、将来は、書いていない人がいたら周りから「なんで書かないの!?」と不思議がられるくらいに。

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