いくつかのブログや新聞記事で話題になっているのですが、告別式などの際、携帯電話に付いたカメラで故人の死に顔を撮影するケースが増えているようです。
撮影する者の言い分や、それを是とする論理はいろいろあり得ましょうが、これに関しては私は絶対的に、醜い行為だと感じます。道徳や作法の根拠なんて、それで十分なのではないでしょうか。
こうしたことについて、全く良心が痛まない人が日本社会に大量発生しているというのは心配なことではあります。携帯電話は様々な利便性をもたらす反面、いろいろな点で人の感性をゆがめてしまうと私は考えています。たとえば、人と話している最中に平気で第三者からの電話に出ることとか、待ち合わせの時間・場所についてルーズになることとか。死に顔撮影もそうしたことの一つではないかと、私は見ています。
ともあれ、この件について大まかな社会的ルールを確立すべき必要がありそうです。私が提案したいのは、以下のようなことです。
配偶者や子など故人に最も近い親族が自ら撮影する場合には、仕方ありません。周りの人はそれを許すしかないでしょう。ただ、陰で思いっきり悪口を言って、うっぷんを晴らしたいものです。「何考えてるのかねー」式に。一方、それ以外の遠縁の親族や他人が撮影しようとする場合には、近い親族の許可を得るべきです。無断撮影は無作法とみなすべきではないでしょうか。
仮に私が許可を求められる立場になったら、即座に拒否します。もちろん、自分の死に顔も撮ってほしくありません。
江戸末期に我が国に写真撮影技術が入ってきた頃、多くの日本人は「写真を撮られると魂を抜かれる」という俗説を信じて、撮影されることをひどく嫌がったと聞きます。平成の今、死に顔撮影が社会問題となっていることには、何か皮肉なものを感じざるを得ません。