「感動する葬儀」というキャッチフレーズが大嫌い

投稿者: | 2008-11-22

ブログ「碑文谷創のはざまの日々」を読んでいて、私が常々感じているのと同じことが書かれていたので、すかさずブックマーク。

一応更新(碑文谷創のはざまの日々)

「葬儀で感動を与える」などということは考えるな、それは傲慢で、余計なことだ。具体的な死者に遺族が対峙する、その機会をそっとサポートすることが大切だ…

碑文谷氏とは、世代も知的バックボーンも違います。葬儀についての考え方も、全て同じというわけではないでしょう(そもそも、氏の前では私はただの素人ですが)。でも、この部分には強く共感します。

葬儀業者自らが「感動する葬儀」などと言い、そのことを全く恥ずかしく思う様子もない。そんな業者とは、葬儀に対する考え方、あるいは人としてのセンスが、私などとは根本的に相容れないと感じます。

「間違っている」とは言いません。そうしたキャッチフレーズに違和感を感じない消費者がいて、現にその葬儀会社が施行する葬儀で感動したのであれば、第三者がとやかく言うことではないですから。

同じように嫌な言葉に「泣ける葬儀」「正しい家族葬」というのがあります。泣くことは葬儀の目的でも主旨でもないでしょう。正しい?家族葬に唯一絶対のやり方があるのか、と。こういう言葉に接するたび、言っている人の葬儀に対する考え方や人としてのセンスを疑います。本音を言えば、「バカか!」と思います。

葬儀という人の死にまつわることにおいて、こんな薄っぺらな言葉を弄する。その恥知らずな感覚が、許せないんです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください