死生観があってこそ
人口の重心が高年齢層に傾いていく我が国では、老いや死というものが「国民的関心事」になっていくのは間違いありません。
人口の重心が高年齢層に傾いていく我が国では、老いや死というものが「国民的関心事」になっていくのは間違いありません。
先週の「週刊ポスト」が安楽死など死にまつわる話題を特集していました。
東日本大震災から5年経つ日に掲載された記事。読み応えがありました。
希望のある話でしょうか、それとも、悪夢?
中高年以降は、死に馴れるということも大切な務めの一つです。
「死」など興味のあるキーワードで新刊チェックするのを習慣にしています。
生老病死(しょうろうびょうし)という言葉が仏教由来だったりすることもあり、「高齢化するこれからの日本では、仏教の出番が増えるはず!」と思っている人が少なくありません。
子供は案外、死について理解しているものです。
「涙の数だけ強くなれるよ」という歌詞がありますが、大切な人とのお別れ=死別を数多く経験して行くに従って、人は成長していくのではないでしょうか。「成熟」と言ってもいいです。
死生観には、大きく分けて二種類あるように思います。