「命の教育」をどうするか

投稿者: | 2014-07-30

長崎・佐世保で高校1年の女子生徒が同級生を殺害した事件。かなりの衝撃を覚えました。

佐世保市では10年前の2004年に小学6年生の女児が同級生を殺害する事件が起きており、同市、さらには長崎県全体で「命の教育」に力を入れていたということです。今回の事件で、そのあり方を再考させられることになりそうです。さらに力を入れる、ということになるのでしょうか。

学校において命の教育、あるいは死の準備教育をすること自体は、悪いことではありません。ただいかに授業内容を工夫しようとも、一般の教科と違って教育効果に限界があるのは間違いありません。まして「人を殺したり、自殺したりしないようにしたりする」という風な到達目標は、そもそも学校教育によって達成可能なのか、大いに疑問です。

今回の事態を受けて「さらに命の教育や道徳教育に力を入れねば!」と気合いを入れ、それがかえって逆効果を生まないようにしていただきたいものです。逆効果とはたとえば、教師など大人と子供との間にある意識のギャップが拡大するとか、偽善的な押しつけがかえって「命の軽視」を生むとか、そんなことです。

この地域にいる同世代の子供たち、そしてその先数年にわたって同じ年代をくぐり抜ける子供たちは、この事件に否応なく精神的な影響を受けることでしょう。その子たちが自ら人生観や死生観を育むのを、遠くからあるいは後ろから、そっと支えてあげる。その程度でいいのではないでしょうか。大人たちが頑張りすぎると、かえって空回りするような気がしてなりません。

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