「朝に道を聞かば」という心境
「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という格言があります。論語に出てくる言葉だそうです。
「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という格言があります。論語に出てくる言葉だそうです。
スピリチュアルと言っても、定義はなかなか難しい。意識や魂といったものが肉体(特に脳)から独立して存在している、という感覚なり信念だと私は捉えています。
フジテレビ系列で火曜夜に放送されている「セブンルール」を録画視聴しました(制作は関西テレビ)。
前回記事「信仰なき日本人のために」の続きです。
はっきりしたことはわかりませんが、近代的な価値観とりわけ自然科学の知見に触れる前の日本人には「自然を畏れる」「天を畏れる」という姿勢があったはずです。
3月に亡くなったスティーヴン・ホーキング博士の新著「Brief Answers to the Big Questions」が気になっています。
より良く生きる上で、また死にぎわを安らかに迎えるためにも、信仰心はないよりもあった方が絶対にマシ、と考えています。
病気やケガを「治す医療」と死にゆくものに寄り添う「看取る医療」では、求められるものがまったく違います。
この数年、海外(といってもほぼもっぱらアメリカですが)の影響もあり、瞑想への注目が高まっています。
人は死ぬとどうなるのか。