安楽死を論じる3つの視点

投稿者: | 2017-02-14

今月の月刊「文藝春秋」が「理想の逝き方を探る」という特集で安楽死の問題を正面から扱っています。

中でも著名人60名にアンケートを取った結果が紹介されていて、なかなか興味深いものがありました(アンケートの回答については別途このブログで記事にする予定です)。

ただ残念だったのは、回答の選択肢が

A 安楽死に賛成
B 尊厳死に限り賛成
C 安楽死、尊厳死に賛成

というものだったことです。一応「日本は安楽死を認めるべきか」という問いとなっていますので、社会として合法化するのを認めるべきかどうかということになっていますが、多くの回答者が「自分の場合は・・・」ということで答えていて、混乱が生じてしまっています。

やはり、

上記3つの選択について

  • (もし合法化されたら)自分が選択する可能性があるか
  • (もし合法化されたら)家族など身近な人が「したい」と言ったときどうするか
  • 日本において認めるべきかどうか

の3つをしっかり区別して論じるべきではないでしょうか。特に最後の点について反対という人(つまり今まで通り、一切の安楽死を認めない)は、自分に無関係の人にもそれを禁じる理由、論拠をしっかり明らかにしてもらいたいものです。

仮に「真に必要とする人が、一定の条件をクリアすれば認めても良い」という自己決定権尊重の立場が多数(たとえば3分の2とか4分の3とか)の賛同を得られれば、その条件をどのように設定するかについて議論することができます。将来のことはいざ知らず、当初はかなり厳格な条件の下で合法化されるのだという認識が広まれば、「それならば、認めても良い」という人はさらに増えるのではないでしょうか。

私にはやはり、絶対反対派の人は他人の自由、幸福追求権に口を出す「自由の敵」としか思えません。

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