死生観を培う

投稿者: | 2010-11-20

人の死生観は、どのようにして培われるのでしょうか。

こんなことを考えてみました。人のある時点での死生観には、外生的なものと内生的なものがないまぜになっている。通常は、年齢を重ねるにつれて死生観が豊かになるが、内生的なものがとぼしい場合には外生的なものに左右(もっと言えば、支配)される割合が高まる、と。

内生的なものとしては、主に以下のものが挙げられましょう。

身近な人の死の経験
これは、とても大きいと思います。通常は祖父母あるいは曾祖父母でしょうが、それまで生きていた人との別れの経験は、人の価値観に影響せずにはいられません。

自分の人生経験
こちらは、むしろ「生きる」という部分についてです。生きていく中で、いろんな経験をする。そんな中から、人生への構えみたいなものが定まって来るんだと思います。

周囲の人からの影響
これは、完全に「内生的」とは言い切れません。ただ、親や祖父母、それに学校の教師など周囲の大人から影響される部分はかなり重要です。死生観というと個人で育むもの、と現代の我々は捉えがちです。けれども本来は、家庭や地域である程度共有されているはずであり、またそれが望ましいはずです。

外生的なものについては、手短に。本や、テレビを中心とするマスメディア、それに映画やドラマ、マンガやアニメなんかも、死生観の育て役になると思います。

戦後の日本は、個々人が豊かな死生観を培うのにあまり向いてない社会だったと考えます。それはきっと、生命を尊重するあまり、死を疎んじすぎたためでしょう。「戦争はもうこりごり」と感じていた人たちにとっては、致し方なかったことと思います。

とはいえ、さすがに戦後も65年。そろそろ「脱・戦後」の死生観が芽生えていっていいのではないでしょうか。そしてそれが、上記のように家庭や地域である程度共有される、と。そんな流れに、私もいくらかお役に立ちたいと考えています。

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