日本を始め東洋には、「人のまさに死なんとする、その言や善し」とする伝統があります。
死の直前に放たれた言葉は、重く、尊いとする観念ですね。そうした観念があるおかげで、法的に強制力があろうがなかろうが、遺族は故人の遺志を尊重しようとするものですし、逆らうのににはひどく気がとがめるものです。
当人や家族についての希望や訓戒のようなものであれば、問題はありません。むしろ私は、一人でも多くの人がそうしたものを遺して亡くなるよう、働いていくつもりです。
でも本人に直接関係のない、政治的主張のようなものまで「遺言」とするのには疑問があります。あまつさえ、本人は必ずしも遺言のつもりはなかったのに、結果として死の間際に放たれた政治的言辞を「遺言」としてもてはやすのは、卑怯とすら思います。
こういう遺言の悪用(あるいは、遺言という語の悪用)がのさばると、長い目で見たら遺言尊重の美風まで廃れていきかねません。私の立場からは、はなはだ迷惑なことです。