8月のこの時期、我が国では戦争にからんだ行事・記念日/祈念日が相次ぎます。テレビなどでも、戦争関連の番組が数多く放送されますね。
その際、「戦争体験を語り継いでいかなければ」といったようなことがよく言われます。私は、あれにかねがね疑問を持っています。
そこで言われている戦争体験なるものは、多くが米軍機の空襲に遭った話です。戦争体験というよりは、空襲体験、民間人虐殺体験と読んだ方が正確でしょう。それを「民族の苦難の歴史」として語るなら、ぜひ耳を傾けたいものです。でもそれを「二度と戦争を繰り返さないために」という意図でもって語られると、白けてしまうんです。21世紀の我々が遭遇するかもしれない戦争とは、かけ離れていると考えざるを得ませんから。
21世紀の今日、民主主義国家の国民が、無差別大量爆撃によって千人万人の単位で殺戮される、なんてことが起こり得るでしょうか。はなはだ疑問です。使われる兵器も、焼夷弾ではなくミサイルや強力な爆弾であるはずで、焼き殺されるというよりは建物や地面ごとぶっ放されるという感じになるはず。
我らはこんなつらい体験をした、という話ならどんどん語っていただきたいです。でも下手にそれを現代人への教訓話としようとすると、聞く側の気持ちを萎えさせるだけではないでしょうか。