いつもチェックしているブログの一つ「金融そして時々山」に興味深い記事が。
その人のおかれた状況、そして当人の価値観によって「やるべきこと」「やっておきたいこと」は異なるので、唯一解みたいなものはないんだろうと思っています。
ただ、「終活」というとどうしても葬儀や墓のことが前面に出るのはいただけません。これはまさに供給者側の論理で、当該の業界が自分たちの商売に結びつけるためにブームをあおっているとしたらけしからんことだと思います。
葬儀や墓のことは、生前準備全体で見れば瑣末な問題です。それが強調されることで、心ある人が生前準備に対してうさんくささを感じたり、実行するのを億劫に感じたりしているとしたら残念なことです。「終活」という軽佻浮薄なネーミングも、それを大きく後押ししているような気がしてなりません(なので私自身は使いません、終活という言葉)。
私の考える真の生前準備。
それは自分の人生と真摯に向き合い、
- 人生は何のためにあったのか
- 何か世のため、人のために成し遂げられたか
といった本質的な問いに対して自分なりに答えを出すことです。といっても、人生はその先もいくらかは続くわけですから、残りの人生でできることがあれば少しでもやり、もし達成しきれないなら後世・後進にどのように申し送るか、ということも大切になります。
そうしたことに比べれば、言っては何ですが葬儀や墓なんてことはもちろん、事前指示書や遺言だって二の次、三の次の問題です。トラブルにならないように、家族などに負担が掛からないように最低限のことをしておけば十分なのではないでしょうか。
もちろん、これは私の価値観によるものなので、全ての人が賛同するとは思っていません。世の中には「生前準備なんていっさい必要ない!」という考えの人もいるくらいですし。ただ私自身は、何十年も生きた上でそうした結論を出し、ヌケヌケと生きている人を軽蔑しますけどね。