古典に親しむ

投稿者: | 2017-12-14

かねがね、読書のうち一定割合は古典を再読することに振り向けたいと思っています。

新しく読みたい本・読まねばならない本が次々と出てきて、なかなか実践できてはいないのですけど。

日本人にとっては西洋の古典に加えて中国の古典、日本の古典の両方も一通り抑えておくことは、西洋のそれしか知らない人には大きな差別化となるのではないでしょうか。中国の人の自国の古典への関心は高くないようなので、東洋随一の教養大国となるのも不可能ではないでしょう。もちろん西洋古典への理解度や造詣は、西洋の人にはなかなか及びがたいでしょうが。

また日本人同士でも、教養のベースみたいなものを共有していれば組織においても地域においても何かとコミュニケーションがスムーズに進むと思われます。また和漢の古典は徳性を養うのに適したものが多いので、全体として言えば古典に親しむ人が多いほど道徳的な社会になるだろう、とも考えられます。

私の関心ある死生学に関しても、古典から学ぶところは多いです。逆に古典の素養がない人の打ち出す意見やアイデアは、時代を越えて通用するだけの「足腰」みたいなもの欠くケースが多いように思います。

もっとも、古典と言っても数も多く、小説などの文学的なものもあれば思想的なもの、あと歴史書などもあります。何が自分の人生の糧になるかは、多くの書を繰り返し読み、かつ自身も人生経験を積み重ねないとなかなか見えてこないものでしょう。

「本棚を見ればその人のことが分かる」などと言います。どの本を人生の友としてきたかは、それ以上にその人について教えてくれることでしょう。私の提唱する「ココロの遺言」でもぜひ書きとめてほしいことの一つですし、親から子、あるいは祖父母から孫へそうした愛読書が受け継がれるような家庭があればとても素敵だな、と思います。

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