テクノロジーが死を超越する時

テクノロジーが進展すれば、人の死のありようは今とは随分違ったものになるかもしれません。

不老不死なるものが実現するかどうかはまだ見通せませんが、個人の意識や精神といったものをデジタルなものに変換して、機械の中で永遠に生き続けさせる、といったことはそう遠くない将来、可能になりそうな気がします。マインドアップローディングなどと言ったりするそうですよ。

死にゆく方も遺される方も死による別れはつらいものです。そうした人たちがテクノロジーを使ってそのつらさを乗り越えようとすること自体は否定されるべきではないと考えます。もちろん、研究・開発も原則としては自由であるべきです。

けれど自分が利用したいかと言われれば、今のところまっぴらごめんというのが本音です。そうまでして命(命と言えるかどうかも疑問ですが)を長らえたくないですし、周囲の人間にもそういうことはしたもらいたくないですね。

テクノロジーで可能になることを何でもやれば人は幸せになれるのか、という疑問があります。また死については人の中にスピリチュアルな感性のようなものがしっかりとあるはずですが、テクノロジーに依存することでそうしたものが鈍ったり消えたりするような気もするのです。

将来的には、こうしたテクノロジーを利用し広めようとする人たちとそれに二の足を踏む人たちの間で鋭い社会的対立が生じるかもしれません。日本人の中では後者が多いだろうと思いますが、ある時から比率が逆転するかもしれません。自分は生きている限り、懐疑派であり続けたいと思っています。もちろん何事にも「絶対」ということはないので、翻意する可能性はゼロではありませんが。

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