先週、野球のWBCが大詰めに入った頃には、葬儀の合間にも控え室やワンセグでテレビに釘付けになっている会葬者がいた、という証言を多く目にしました。
それと通じる話が、道順庵さんのブログに。
物語をつくること – 葬送 なるほど 家族葬 八千代市の葬儀
家族葬の通夜のときに
「麻生さんが・・・」「小沢さんも」とか
高速代の話しとか
それは、明日でも話せることですから
今日だけは・・
物語になる話ししてみませんか
「人を送るより大事なことなんて、人生にはない」というのが私の信念ですが、そう考えない方も、大勢いらっしゃるようで。
生前の付き合いが薄っぺらなものだったなら、親戚や知人が亡くなっても、強い感慨はないのかもしれません。それでも、人の死に立ち会い、その人の人生に思いを馳せることは、自身のためにもなると思うのですが。
生について、死について学ぶ、格好の機会のはずです。そしてその学びむしろ、悲しみに魂をかきむしられるような近親者の死よりも、少し関係の隔たった人の場合の方が容易かもしれません。
とはいえ、こうした意味での「人を送ること」に関して、これまでの葬儀はかえって妨げになっていたということも申し添えます。私見では、ちゃんと送るとちゃんと葬儀をするはイコールでないどころか、後者は前者の妨げにすらなり得るものですから。