「死生観を持つ」とは?

投稿者: | 2009-06-03

ある緩和ケア医の方のブログ記事。

死生観を持つ重要性 – 玉響のつぶやき

私はいつも、終末期の患者様には、限りある最期の時間だからこそ、動けて話せる元気な時期に自分の思い残す事がないよう、その人の望む最良の時間を過ごして頂きたいと思う。しかし、現場ではご本人に予後を知らせぬようご家族が望むため、患者様本人は、まだ治療する事に執着し「がんが消えてないのに退院できない。」と仰る。ご本人に、予後が短い事を告知する事は残酷なのかもしれないが、「死」から逃避するよりも、限り有る時間だからこそ大切に過ごそうとご本人に気づいて頂く方がどんなに充実した最期であるかと思う。

予後の告知に対してのご家族の反応は個人差が有る。ご本人とご家族の「死生観」が告知に影響を与えていると考える。

こういう割り切れなさというか、「それでいいのか?」という思いを持ちながら、患者や遺族と向き合っておられる医師は、少なくないようです。とりわけ老人医療・終末期医療に携わる医師は。少し前に観たテレビでも、別の緩和ケア医の方がほぼ同趣旨のことを言っておられました。

私はここに、戦後日本人の生命尊重主義というゆがみを見る思いがします。生きることはそれだけで尊い、あるいは人命は地球より重たい、というのは、やはり不健全な考えでしょう。人間が不死でない以上、必ずどこかの時点で現実の前に破れ去る観念だからです。

セネカの言う「人生は物語のようなものだ。重要なのはどんなに長いかということではなく、どんなに良いかということだ」こそが、健全な考え方というものでしょう。中味や質を問わず、ただ生き延びることを良しとする思想は、結局、生の質をはてしなく低下させるものだと思います。

申し訳ないですが、生命尊重主義的な考え方は、死生観・人生観と呼ぶに値しませんね。

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