「あなたの”生きがい”は、何ですか?」と訊かれて、胸を張って答えを言える人は、どれくらいいるでしょうか。
“生き甲斐やレゾンデートルが自己責任の時代” – シロクマの屑籠(汎適所属)
私は、人間という生物は、何らかの生き甲斐なりレゾンデートルなりをもたなければ心理的に参ってしまいやすいと思っているし、生き甲斐やレゾンデートルを求める事自体はとても尊いと思っている。心理的な生命線と言ってもいいかもしれない。けれども、そんなに大切なものだというのに、今、生き甲斐やレゾンデートルを自己責任でちゃんと手に入れられる人って、思ったほどにはいないんじゃないだろうか。
ごもっともだと思います。
「自己責任」という言葉、一部の人からは忌み嫌われています。でも、自分の生は最終的に自分で引き受けるしかない。これはこの先も変わらない真理だと思います。
さてその上で、2つほど私見を。
まず、人が生きる上での生き甲斐なりレゾンデートルなんて、無限にパターンがあるはずもなく、せいぜい数種類に大別されるのではないでしょうか。その意味で「自己責任」と言っても、真っ白な紙に自由に絵を描く、といったイメージで捉えるなら、それは間違いです。
どんなパターンがありえるか。それを語り出すと長くなりそうですが、仕事、地域社会、分野といったもので貢献する、ということに大半が集約されるでしょう。あとは、特定の個人に献身するというのも。ただこれは、弊害を生んだり、失敗したりすることも多いように思います。
生きがいと言った時、家族を思い浮かべる人は多いかもしれません。ただ家族は通常、安らぎを得る場ではあっても、生きる目的にはなり得ないと考えます。
さてもう一つ。具体的な生きがいは、各個人が状況や個性に応じて選び取るしかないとしても、「生きがいを持ちやすい社会」というのを築くことはできるはずです。たとえば、現に生きがいを持って生きている人が多くいる、つまりロールモデルがあふれているといったこととか、生きがいを具現化する上でいろんなサポートが受けられるということとか。
ついでに言えば、他人が生きがいを持って生きることに、何らかの形で役に立とうとすることも、立派な生きがいになりますね。