生涯現役という義務

生涯現役。今は前向きな、いわばカッコ良い言葉として使われていることが多いでしょう。

でもゆくゆくは、好き好んで選び取るというよりは、誰もが強いられるものになるんだと思います。言ってみれば、義務ですな。少なくとも、ほほ団塊ジュニアである私の年代や、それより若い世代の人は、そのことを覚悟していなければうっかり者にもほどがあるでしょう。

もとより、生涯現役といってもいくつか留保が必要です。

文字通り死ぬまで働き続けるということはあり得なくて、多くの人は数年間の闘病やケアを経て、逝く事になるでしょう。その意味では、詳しく言えば「生涯のできるだけ最期まで現役でいること」というのが実態、ということになろうかと思います。

また、当たり前の話ですが、若いうちに十分な蓄えと資産を形成をした人は、任意の時期に引退することができます。引退が、ぜいたくになるわけです。ちょうど現在における「アーリー・リタイヤメント」のように。よって年金など社会保障は、引退時期に対して中立的なものにすることが求められます。早すぎる引退が有利になってはいけないし、不利になってもいけません。

さてもう一つ。これも当然ですが、現役と言っても、フルタイムの労働である必要はありません。実際、年齢が上がるほど、そうした人は希なケースとなるでしょう。生涯現役のお手本というか「神」として、日野原重明医師(98歳)が登場することがよくありますが、あの方はやはり例外と見るべきでしょう。

こうして書いてくると、我々を待っているのは、イヤなのに働くことを強いられる「暗黒の老後」のように聞こえるかもしれません。でも考えようによっては、生涯現役が当たり前になれば、世の中の仕事観や人生観も、今とは違ったものになるんじゃないでしょうか。むしろそれが、自然かと。

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