少し前、著名な脳科学者の方が「東大なんて、世界の大学の中では井の中の蛙だ」といったことを言っていました。
彼自身が東大出身だからこそ、許される発言ですね。行きたくても東大に行けない者がそんなことを言っても、負け惜しみにしかなりませんから。
それはさておき、学術・研究の分野でもグローバル化が進む昨今、我が国の最高学府である東京大学といえど「ローカル」な存在になってしまっているのは、確かです。分野によっては例外もあるでしょうが、世界中の学生や研究者が行きたいと熱望する大学、ということはないでしょう。
日本の大学の序列においてはトップでも、世界においてはその程度、ということになります。勉強のできる中高生が東大を目指すのは良いにしても、最終目標、絶対的目標にするのは、よろしくありません。学部からか大学院からはさておき、海外(とりわけアメリカ)の大学も、視野に入れておくべきです。
私が中高生だった1980年代には、こういうことはあまり考えられませんでした。「留学」と言っても、短期の語学留学か、研究者として生きていくつもりの人が考えるもの。東大がまぎれもなく頂点だったのです。少しの間、東大を目指そうかと思ったことのある私としても、時代は変わったな、と感慨を禁じ得ません。何せ我が家では親戚中に大卒者はおらず、私が最初の大学進学者だったくらいですから・・・。
時代が変わっても、中高生が受験勉強に追われる構図は、あまり変わっていません。かねてよりの持論なのですが、受験勉強に時間や知的エネルギーを注ぎすぎるのは、愚かです。受験のための勉強は最小限の時間・労力で最大の効果を上げるようにして、他の時間は読書や部活動、そして自分の興味あることの勉強に費やす方がずっと賢明です。学校の勉強が一定レベル以上できないのは困りものですが、学校の勉強しかできないヤツも、今の社会では「役立たず」と言っていいでしょうから。