乳がんと闘いながら「いのちの授業」を続けてこられた山田泉さんが、さる21日に亡くなりました。
私自身は彼女の著書など、その「いのちの授業」には触れた経験がありません。同様の「いのちの授業」では、茅ヶ崎市浜之郷小学校校長だった大瀬敏昭さんのことは、テレビや著書などを通じて比較的よく知っています。
そんな中思うのは、死を目前にした教師たちの「いのちの授業」は、迫力はあるものの、普遍性・汎用性には欠けるな、ということ。これらを美談としてもてはやすのは結構ですが、そのことは一般の教師が行う教育実践にとって、必ずしもプラスにはならない。それを私たちは自覚しておくべきだと思います。
「いのちの授業」はすべての子供たちに対して行われるべきもの。がんなど死に至る病を持った人しか授業できないんだとしたら、供給が圧倒的に足りないじゃないですか。それにもっと言えば、「いのちの授業」は生徒たちがみずからの人生観や死生観を確立する助けとなるはずのものですが、死を目前にした人の語りは、それらを全てふっとばす危険性がある。あえていえば、暴力的なものだと思います。
もちろん、山田さんや大瀬さんの授業のことを「いのちの授業」の一つの素材として取り上げるのは、とてもいいことだと思いますが。死をきっかけに「山田泉ブーム」が来たりしたら嫌なので、早めに言っておきました。