モンテーニュの言葉です。「賢者は、生きられるだけ生きるのではなく、生きなければいけないだけ生きる。」
この言葉は暗に「生きられるだけ生きようとするのは、愚者だ」という意味合いを色濃く含んでいます。生に異様な執着を見せる一部の人たちに聞かせてやりたいものです。もっとも本当の愚者ならば、それが自分への批判であることを理解できないでしょうが。
徒然草にも「命長ければ恥多し」という有名な一節があります。医学の発達していなかった当時のこと、生に執着することはいわば勝ち目のない戦いであって、仮にそれを追求すると様々なひずみや醜さにつながるというのが、物を考える人の共通認識だったのでしょう。
さて現代においては、この言葉は違った趣があります。医学や生命科学の進歩で人間の寿命が大幅に伸びようとしており、「生きられるだけ生きるのか、それとも、適当なところで生に終止符を打つのか」を各人が選択しなければならない時代が、すぐそこまで来ていると考えられるからです。生きなければならないだけ生きるというのは、賢者の証であるというより、一種のマナーのようなものになって行かざるを得ません。
生きられるだけ生きる。それを卑しいこと醜いこととみなす社会が、たぶん訪れようとしているのでしょう。