「科学的に説明できないものは認めない」という風潮

投稿者: | 2015-04-06

このところ、NHKのテレビで死後の世界あるいは臨死体験を取り上げたものが続きました。

モーガン・フリーマン 時空を超えて」シリーズの「死後の世界はあるのか?」。そして立花隆による「死ぬとき心はどうなるのか」シリーズ。

特に後者に顕著でしたが、科学は臨死体験をどこまで解明できているのか、という切り口で番組が構成されていました。臨死体験なんてどうせ「幻覚」なんだから、脳の活動によって説明できるだろう、というわけです。

私は社会学を勉強したこともあり、こうしたアプローチは不適切とか間違っているとまで行かないにしても一面的だと強く感じました。立花隆の番組の方は、ムカムカして観るのをやめてしまったほどです。

確かに、臨死体験者の見たものは「幻覚」かもしれません。しかし多くの人がそうした体験をしていることは現実であり、体験その後の人生に大きく影響するのも事実です。そのことをひとまず認めて、当人がその体験をより良く活かす道、あるいは当事者以外がそこから教えられる教訓といったものをくみ取ることの方が、科学的解明なんかよりずっと意義深いことなのではないでしょうか。

同様のことは、東日本大震災の被災地で語られる幽霊話に対する批評(冷笑と言っても良いです)に対しても感じることです。

「科学的に説明できないものは認めない」などと言い出したら、というかそれを突き詰めたら、この世は随分殺伐としたものになる気がしてなりません。微力ながら、私はそうした風潮に待ったを掛ける側でいたいと思っています。

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