現代日本人の多くが、生命至上主義とも言うべき信条を持っています。
自分の命、周りの人の命をかけがえのないものととらえ、他の何かと引き換えにするのを拒む考え方です。「一人の命は地球より重い」と言ってしまうと全面的に賛同する人ばかりではないかもしれませんが、その反対の「一人の命は羽毛より軽い」というのよりは、はるかに多くの人々の納得や共感を得られるのではないでしょうか。
ただ私の見るところ、この生命至上主義がかえって、生き方の幅を狭め、生の実質を乏しいものにしています。一回きりの人生で全てを意味づけ、完結させようとすると、自ずとそうなってしまいますよね。自分の生を超えた何かに、人生を捧げたり委ねたりする。そういう生き方が視野に入ってこないわけですから。
私のフィールドである生前準備の分野においても、この生命至上主義がはびこっています。「私らしい逝き方」といった薄ぺっらなスローガンが何の疑いもなくもてはやされるのは、その表れでしょう。
今から15年から20年先には団塊の世代が死に向き合うようになります。その時、こうした価値観は死に際を素敵にするどころかひどくつまらいなものにしそうです。こう言っては何ですが、今のままだと団塊の世代はその死に際において、我らの「反面教師」として消えていくことになるのではないでしょうか。
もとより、生きているうちにその狭い枠を抜け出す人もたくさん出てくると思います。これからの日本では、そうした人たちと結局生命至上主義から抜け出せなかった人との人生に大きな違いがあることがはっきりしてくるように思います。特に「抜け出した人」から見ると、そうでない人は籠の中でもがいている鳥や地面の狭いところであくせくしているアリのような存在に映ってしまうでしょう。もちろん、大の大人は当人に面と向かってそんなことを指摘したりはしないものですが(笑)。