人生を何に捧げるか

投稿者: | 2016-12-23

日本が戦争に負けたことで、「お国のために」「滅私奉公」などというのは時代錯誤と見なされるようになりました。

戦時中あまりに個人に対する抑圧が強すぎたので、その反動が起こったのは仕方ありません。ただその反動が行きすぎており、しかも戦後半世紀を優に超えてもまだその「行きすぎ」を是正できていない、というのは由々しきことではないでしょうか。

個人が自分単独で生きる意味や人生の目的を見いださなければならなくなったため、かえって生の空洞化みたいなのが進んでいるように見えます。何を拠り所にすれば手がかりが無いですし、かりそめの対象を見つけたとしても自分というものがこの世から消えてしまえば、一切が無に帰す。こう言っては何ですが、「必敗のみち」としか私には見えません。

現代日本人に表題のような問いを投げかけても、胸を張って「自分は・・・に捧げます!」と答えられる人はほとんどいないのではないでしょうか。悲しむべきことですし、改めないといけないことです。

確かに「滅私」である必要はありませんし、恐らくそれは望ましくもありません。人類史にインパクトを与えるようなごく一部の天才を除き、私生活での満足や充実がなければ結局のところいい仕事もできないでしょう。それでもやはり、「世のため人のため」という視点を持って人生の計画を立てなければ、ただの自己満足・自己陶酔に終わるほかないのではないでしょうか。

参議院議員になった青山繁晴さんがこんな本を出したのを知りました。

ぼくらの祖国には、今こそ、新たな哲学が必要です。ただ一度の敗戦で死した日本の哲学、それを超える「公のために生きる哲学」を考えていきたいと思います。
みなさん、「ど真ん中」から一緒に考え直しませんか?

自分の問題意識とも通じるところが大いにあるので、早速買って読んでみようと思います。一部の人からは「反動だ」「右翼だ」となじられるかもしれませんが、若者中心に青山さんみたいな人にそれなりの支持が集まっている日本は、まだ捨てたものじゃないと思いますよ。

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