鉄は熱いうちに打て!

投稿者: | 2017-06-28

自分のことを振り返ってみても、子供というのは大人が思う以上に多くのことを感じ、知っているものです。

それが前世などから持ち越された「記憶」なのか、一種の動物的勘のようなものなのかはわかりません。ただ社会生活を送り、常識や規範といったものを吸収していく中で、子供のそうした鋭さ・素直な認識力が失われていくのは確かでしょう。

それゆえにこそ、狭い意味での早期教育とは別に、子供の人生観・死生観を刺激するような一種の哲学教育があってしかるべきではないかと、常々考えています。できれば小学校中学年くらいになるまでの段階で。

教育の場は学校であっても家庭であってもそれら以外でも良いと思います。むしろそれらが良い按配で組み合わさり、相乗効果を上げるのが理想的です。

また特定の価値観やイデオロギーを「注入」する、というようなものであってはなりません。「命を大切に」といった一見自明と思われるようなとこであっても、です。あくまで子供が長い生涯を生きていく中で、自ら考え自分なりの選択をしていく上での基礎能力を育むのを手伝う、くらいの捉え方でないとなりません。

洗脳みたいなことをするくらいなら、やらない方がマシだとさえ考えます。

ともあれ、こればかりは正解や教科書といったものがありえませんので、今後試行錯誤が必要でしょう。時には無意味なこと、有害なことをしでかすかもしれません。たとえそうであっても、今いる我らが次世代のためを思って、ともに真剣に学び、成長しようとしたという事実は残ります。そのまた次の世代が、より良い死生観教育を編み出してくれれば良いではないですか。

世代は続く、そして世の中は良くなっていくはず。そう信じて行動し始めることこそ、今の世代の務めではないでしょうか。

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